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会社案内 - フードクリエイティブファクトリー
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所属アーティスト
プロフィール

代表取締役 五十嵐 豪

  • 22.5万

  • 8.2万

  • 2万

しかない料理クリエイター
企業SNS専門アドバイザー

1986年生まれ。21歳大学生時に4万円で料理研究家を創業。日テレOha4でレギュラーコーナーを持ち、香港、シンガポールでも地方創生イベントや商業施設のイベントに登壇。農水省の海外向け和食サイトでレシピ提供者として起用される。プロデューサーとして企画・制作したJcom男子料理道場はJcom ACT ON TVで反響No.1番組になる。自社のSNSを14ヶ月で26万フォロワーまで成長させた知見から企業のSNS戦略アドバイスを担当し、人材獲得コスト70%カットして採用数6倍など圧倒的な結果を出して活躍。

取締役 五十嵐 ゆかり

  • 51万

  • 7.3万

  • 11万

管理栄養士・料理研究家

「ラク早ごはん」をモットーに、共働きで忙しい家庭でも作れる、簡単時短・ヘルシーでおいしい作り置きレシピを中心に提案している。食の企画、レシピ・商品開発、執筆、動画制作、テレビ出演、イベント出演、インフォマーシャル出演、講演、料理教室、食品企業のレシピサイト制作やホームページ制作のディレクションなど、多方面で活動中。著書に『食材の栄養素を最大限に引き出す便利帖』や『発酵いらずのちぎりパン』、『塩レモンでつくる基本のおかず』など。

ゆりか画伯@お絵描きcooking

  • 3万

イラストレーター/料理家/フードコーディネーター/カメラマン/ムービーディレクター

2018年フードクリエイティブファクトリー入社。ゆるっとしたイラストで簡単レシピをご紹介🍳▼料理家・フードコーディネーター・動画ディレクター▼お仕事はレシピ開発、フードコーディネート、動画撮影・編集、執筆、イラスト制作等▼Twitterレシピはインスタにまとめています。

沿革

  • 2007

    五十嵐豪が専修大学経営学部4年次に所持金4万円で創業。個人で専属料理研究家は自分だけの料理研究家プロダクションでした。当時フリーペーパーブームの中でレシピページを企画して売り込み、撮影、レシピ開発を受注していました。若い男性料理研究家が他にいない中で、テレビ番組出演をきっかけに番組制作会社からバラエティ番組の食べ物系企画とフードコーディネートの受注を増やし、書籍の企画を書き上げて早川書房で初のレシピ本を出版することができました。

  • 2008

    レシピ本が世に並ぶと同時に雑誌、メディアの連載依頼が舞い込むようになりました。当時書かせていただいた産経izaの専門家ブログからも様々な講演依頼、テレビ出演、連載依頼、企業のプロモーションに出演する機会をたくさんいただけるようになりました。JA全農・全中・共済連・農林中央金庫の「だんだんたんぼ」(既にサイト閉鎖)やサントリー金麦の「金麦スタイル」の仕事は創業期にとても助けられました。金麦スタイルとオレンジページのタイアップ仕事では後に社員となり、後に結婚する五十嵐ゆかりが学生ながらも臨時アシスタントとして参加しのちのちのFCFにとって大きな転換点となっていました。初めての出張・初めての講演は経済産業省の講演で事業者100名以上が集まるという突然の大舞台で徳島、なんの話をしてたのかスライドも使わず40分間話し切った後にすごく自信がつきました。

  • 2009

    FCFを設立しました。大学時代の授業で先生が「この紙に夢工場をかきなさい」とだけ伝えられて帰るというセンセーショナルな授業がありました。よくわからないけどただ夢中にこんな工場があったら面白いと書き続け、気づいたら授業が終わってからも書き続けていました。「工場」と「創造」について強い憧れがあったのだなと思います。食のクリエイティブ生産の夢工場で、通常一人の脳内で行うクリエイティブのものづくりを分業制ライン生産で組織的に行うイメージからフードクリエイティブファクトリーと名付けました。名前が長くて領収書をもらう時に苦労することを相談したところ「FCFでいいよ」と言われて以来FCFと呼んでいます。とにかくいろんな思いついたことを実行していて、ひたすら公私の区別もつかないほどヘルニアになりながら(笑)我武者羅に仕事をしていました。

  • 2010

    新卒社員から育てることに憧れて、会合で再会した当時大学卒業間近の遠藤ゆかりを誘い組織としてのFCFが作られていました。実家にかじりついて個人事業をしていた頃と違って、事務所を借りて、スタッフを雇いながら毎日飲みにいくと驚くほどお金が減っていくことに衝撃を受けたのはいい体験でした。レシピに特化した制作スタジオとして板についてきて多くの食品企業大手の会社の制作や愛媛県松山市役所の地域ブランドコンサルティングを担当し、つくったレシピを報道番組で取り上げていただくレシピ開発とPRを絡めた仕事にも挑戦していました。

  • 2011

    FCFは白金台に移転しました。特別な思い入れがあったわけではありませんが、ランチした人から白金台がいいと言われて、そうか、と思って引っ越しました。「日本一楽しい・好きな会社にしよう」とスローガンを掲げてとにかくふざけたホームページを作っていました。問い合わせいただいたクライアントにどうしてFCFをパートナーに選んだのかを聞いたところ「なんか面白そうだったから」という理由だったのが嬉しい体験でした。当時「日産や楽天が英語を公用語にする」ニュースに触発を受けてスタッフ3名で「FCFの公用語を英語にする」映像を作ってYoutubeに流したり、退職するスタッフの送別会にクライアントや友人に早朝集まってもらって「朝起きたら部屋で宴会している」という寝起きドッキリを仕掛けたり、月に1回「スタバ会議」という仕事と全く関係ない面白いことについて話し合う習慣を作っていました。サントリーソウルマッコリのイベント出演やサントリーフレシネのレシピコンテンツなど公私ともに酒の多い生活だったと思います。会社では週3くらいで宴会していました。これも社員の業務に入るとなると、とんだブラック企業がいたもんだと反省してます!!

  • 2012

    この沿革、読まれない方がいいんじゃないかな。当時から見ても今更読んだ「金持ち父さん」に感化され「本業でキャッシュを得て、投資に回すことでスタッフが定年しても面倒みれる会社にしたい」と宣言してほぼ全資金をFXで秒速消化しました。奇しくも残った現預金は起業当初と同じく4万円、何の悪い冗談だ。社員に深々と頭を下げて一から出直す決心をし、残った4万円を使ってスーパーで山崎製パンの一番安いケーキを買って小さなパーティを開きました。(アホすぎる)料理研究家らしく板チョコを溶かして「4万円」と書いたチョコプレートを作って食べました。さすがに今のFCFではここまで振り切った取り組みはできません。

  • 2013

    背水の陣で働き、年間で制作したレシピ数を計算したところスタッフ2名で2000レシピを記録。書籍、アイレップの365日レシピ、業務用食材カタログ、とにかく働きまくりよくわからないうちに経営を持ち直すことができました。ホッと安堵したタイミングで読んだビジネス本に悪魔の囁きが書いてありました。汗まみれになって働く人生より、ソファで横になって楽した方が幸せだと読み取り、そうか、と会社を「週休5日制」にしました。火曜と木曜だけメールも電話返答するという徹底ぶり。半年ほど続けると仕事がなくなって週休2日に変更しました。平日の昼間からプールで遊んだり、実家に帰ったり、しまいにはやることもなくなって営業日が待ち遠しくなり、早くメールを返したいけど休業日だし、という謎の葛藤に苦しんでいました。これ沿革に書く必要あるの?流石に自覚が湧いてくる迷走ぶりにコミュニケーショントレーニングのコーチングを取り入れて迷走状態から立て直すことになりました。コーチングを組織に取り入れた恩恵は現在計り知れません。誰が教えてくれることもない経営者の世界で、よくこの会社が存続してる。
    大盛りごはんを食べるだけでソファでごろ寝してても2ヶ月で8キロ痩せた食事法、大盛りダイエットをリリースし、たくさんのメディアで取り上げられました。富山県庁、岐阜県庁とタイアップしたメニュー開発を担当するほか、雑誌3分クッキングで日本全国ご当地食材の美味しい食べ方を紹介する連載ページの制作をしました。ご当地応援の方向性に向いたのもこの時期でした。

  • 2014

    CSのAct On TVで「五十嵐豪の大盛りダイエット食堂」がスタート。増員して料理研究家スクールをスタート。実体験からメソッド化した半年でレシピ本を出版するセミナーを開催し、実際にその通りやってマイナビ出版からレシピ本を出版した方も出ました。ただあまりにも「即席に」プロが出来上がってしまうマーケティングテクニックが強力すぎてプロとしてのトータルを保証する社会的責任を負えないという判断から年内に引き上げました。
    食に特化したアーティストネットワークを立ち上げ、制作プロダクション機能を広げました。秋田県鹿角市、北海道のホクレンを始めとする生産事業者の応援イベントを主催。JETROの新興国進出支援事業の支援を受けてシンガポールで料理イベント、料理教室を開催、日本食紹介のフリーマガジンOISHIIで連載し国内のスターバックスや日本料理レストランにおかれました。また同国で富山県南砺市役所のイベントをプロデュース。岐阜県可児市役所の事業者向けレシピ開発セミナー、岡山県中小企業団体中央会でレシピ開発セミナー、秋田県鹿角商工会で同様に全国各地でマーケティング講演会、セミナーに登壇。タッパーウエア社の事業で全国7都市縦断アンチエイジング講演会に登壇しました。地方創生が言われ始める前夜くらいだったと記憶していますが、とにかく本当に呼ばれるがままに地方へ旅立っていました。当時はピンク色と金髪と刈り上げの3トーンで魔法使いみたいなマントジャケットと革靴履いて畑に行くもんだから地元生産者の方には面白がっていただけたようでした。その頭で堅めの講演やNHKの番組に出ても意外と怒られないという妙な自信をつけて髪型格好は更なる進化を遂げ、結果黒髪に落ち着くのでした。この会社は色々おかしい。

  • 2015

    自社サイトをオウンドメディア化し、料理動画を制作してYoutubeに上げ始めていました。企業のオウンドメディアブーム、動画ブームに運良く前乗りできて食のコンテンツ企画の分野で多くの注文をいただけることになりました。ぐるなびではメディア立ち上げ期から参加して1企画目からヒットを飛ばすことができ、2企画目で特大ホームランを出し、首位打者的にヒット率とホームラン率の高い企画屋になっていました。はてなブックマークが平均1〜2がいいところだった時代に700、1000を叩き出してとても喜んでいただけました。見ての通り今までバカなことしてきた下地がこんな形で役に立つとは、芸は身を助けるものですね。社長は突然引退を宣言して元々生きたい方針だった社会事業をしたいと言い残し福祉施設の立ち上げに10ヶ月ほど費やした結果、必要資金調達を揃えられずに失敗し出戻りました。毎度お騒がせしております。あえて社会事業に乗り出さなくても、社会に嬉しい影響を作る方法はあると気づき心を入れ替えて社長に復帰しました。

  • 2016

    コンテンツ制作は飛ぶ鳥を落とす勢いで結果を出し、ECサイトのたまな商店では導入から3ヶ月で新規購入者が1.6倍になったと喜んでいただきました。
    CchannelではFCFの企画制作する企画が他社で作られた動画と平均して11倍の反応率を得ることができ、Tabilaboでは食の企画は全てFCFに頼みたいと言っていただき多くのヒットコンテンツを作らせていただきました。大江戸温泉物語のかき氷企画を担当した時に勢いで業務用かき氷機を購入、会社では「フリーかき氷」と誰でもいつでもかき氷を食べられるようにしました。意外と誰も使わずぽつんとしていたところ恵比寿で店を貸してくれるというオファが舞い込み、店は軽飲食の物件のためかき氷バーをオープンしました。なんの罰ゲームか、オープンしたのは11月。既に寒くてかき氷どころの騒ぎじゃなく、飲食店にはスタッフが見つからず社長は業務が終わってから恵比寿の店で働いてダブルワークしていました。よく働いた!店やることを決めてきたのは社長なのですが「誰かスタッフ見つかると思ってた」と証言し、期待でしかない甘さを露呈することになりました。2ヶ月で店は閉めて本業に集中して前年比1.5倍の売上成長となりました。一応前年度も伸びてまして、こんな会社も着々と育っています。

  • 2017

    前と比較してしまうと抱腹絶倒の失敗がないのは人間の成長を神秘的に尊く思う本年度です。書き綴るうちにふざけた沿革となってしまいましたが、本当に紆余曲折、様々な体当たりからの体験から発見を掴み、信念を育んできました。こんなめちゃくちゃな沿革で今9名のスタッフが楽しく働いていることが奇跡。沿革を綴ることを通して「運がいいことって大事ね」と噛み締めています。これから綴っていく沿革がどんなものになるのか楽しみで仕方ありません。沈みゆく泥舟の段階からは脱したかなと思いますが、まだまだ油断はできません!どんな困難があっても必ず越えていくFCFであることは今も昔もこれからもそう変わらないのかな、なんて思っています。
    ここまでの沿革を読んで、この会社大丈夫?社長は正気か?と思った方もおられるでしょう。あなたの目で確かめてみてください!!(‘-‘*)残念ながら度重なるアクシデントはフィクションではありません。

  • 2018

    6月よりスタートしたSNSは1年で総フォロワー20万に成長しました。大東企業様で5000万かけてた採用費を7割カットして獲得6倍と圧倒的な結果を残してとても喜ばれました。SNSで集客できる制作会社、というポジションを確立しました。

  • 2019

    忙しくてほとんど覚えてない。毎月Twitterのおすすめに取り上げられ、Instagramでバズりまくりフォロワー数が急増する。営業チームをつくる。

  • 2020

    Youtubeゆかりごはんチャンネルをスタート。コロナ禍ながらもSNSプロモーションは順調に成長。コロナ禍で廃業寸前だった大阪の町工場をM&A事業承継して誰も食べことのない極上スイーツをプロデュースするブランド「toroa」を立ち上げ、makuakeで達成率3400%を獲得。

  • 2021

    2月にtoroaを自社ECサイトでリリース。最初はガトーショコラだけ屋さんでしたが、1日30-40本しか焼けず品薄状態が続く。品薄商法みたいに見えるのも不本意なので4月には今後受注停止しないことを決断。はじめは注文から10月に催事初出店、toroaチーム拡充し売上も右肩上がりに成長中。

  • 2022

    toroaのとろ生チーズケーキが全国7000商品から日本一に。日本最大級のおとりよせ口コミサイトおとりよせネット主催2022年おとりよせ大賞で総合大賞受賞する。テレビでも多々取り上げられる。

    toroaの受注数が月々に記録を更新し、工場が大パニックになる。ものづくり補助金を導入して機械を入れたものの電力不足で巨大なオブジェと化す。今の工場で引ける電力量では機械が動かない、ということでまだ取得から1年半しか経っていないのに莫大な費用をかけて移転することに。11月に5倍広い工場に移転完了。

    SNSフォロワー数120万人突破。

  • 2023

    toroaがチョコレートの日本最高峰の祭典サロン・デュ・ショコラ、アムール・デュ・ショコラに出場。催事の最大売上が日販80万円に更新。